ふたりジャネット ISBN:430962183X

walkeri2004-05-14

 河出の奇想コレクションから出たテリー・ビッスンのSF短編集。面白ーい。実に不思議な感じの話ばかりで、一言で表すなら、「素っ頓狂」……かな? 特に気に入ったのは「熊が火を発見する」(熊が火を発見する話)と「英国航行中」(英国が航行する話)。タイトルどおりの話なんだけど、語り方がなんともすっとぼけていて、一体何をどう考えてこう書いたのか見当もつきません。あとかっこよかったのは「冥界飛行士」。人工的な臨死体験によって死後の世界を見ようとする実験の話で、他がユーモラスな話ばかりの中、一つだけ陰鬱でグロテスクな雰囲気を漂わせています。しかしこの表題作はなんじゃこりゃ。話自体変だし、これを表題作に持ってくるのもよくわかんない。つくづくとぼけた本であります。
 とにかく読んでいて純粋に楽しい短編集で、かなりおすすめ。他の人の感想はえんじさんの読書日記(2004/5/12)にまとめられていますので、ご参考までに。

「メディアを疑うこと」を疑う

 http://www.shiojigyo.com/en/backnumber/0404/main.cfm
 おれカネゴンさんの「算数できんの気にし過ぎとや」日記(2004/05/12)で知った記事。フェ フィ フォ フン、ポストモダンの血のにおいがするぞ。といいつつ内容には基本的に賛同できて、たとえばこの辺。

「メディアを疑う」ことはつねに権力に対する距離を保証してくれるわけではない。むしろ、知らず知らずのうちに権力の掌のうえで躍らされる危険だって少なくない。「北朝鮮」へのステレオタイプを拡大再生産している一部の2ちゃんねらーが、「メディア・リテラシー教育は大切だ」などと言ったりすることもある。左派の本丸−とかれらが見る−『朝日新聞』を疑うリテラシーをかれらは後生大切にしている。「メディアを疑う」態度とは、良心的左派の専有物ではなく、右にも左にもブレる可能性を持つきわめて微妙なスタンスなのだ。「メディアを疑う」ことは、案外難しい。

 ありゃあメディア・リテラシーじゃなくてただのバイアスであります。そもそもメディア・リテラシーって何かってえと、literacyってだけあって*1能力なんですよね。朝日新聞を敵視するのは個人の自由ですが、それは能力とは言わない。単なる習慣です。で、その能力が向かう先が何かというと、実はマスメディアだけじゃなくて、結局は自分自身なんじゃないですかね。他のメディアに接したときに自分がどう反応してるか、それを意識しないメディア・リテラシーなんてありえないでしょう。だからここでおまえはタイラー・ダーデンの教えに立ち返らなければならない。
 メディア・リテラシーをおのれの偏見の言い訳に使ってはならない。
 メディア・リテラシーはたゆまぬ実践と克己の繰り返しによってのみ培われる。
 メディア・リテラシー自己破壊の技術である。
 というようなことを考えてたら、「メディア・リテラシーの18の基本原則」に大体同じことが書いてあったよちくしょう。もう帰る!
 いやあと一つ付け加えることがあった。上のリンク先周辺をだらっと見てもらうとわかるけど、このメディア・リテラシーなるものは民主主義の考え方とかなり強く結びついている。これがどういうことかというと、メディア・リテラシーをそのままの形で他の文化に輸出することはできない。例えばこの思考法は明らかにイスラームの社会形態に反するし、だいたいわれわれ日本人も民主主義の真似事しかやってない。基本的にメディア・リテラシーの概念には賛同するし、そうした教育はぜひやるべきだと思うけど、その実践に当たっては、現地の文化によって変更を加えないと定着は不可能だし、現状すでに見られるように、悪意ある使い方や故意の誤用をされる可能性さえあるでしょう。それはそれとして、生きていようが死んでいようが、骨をひいて粉にしてパンにしてやる。