鼻と季節感

 夜、職場を出たら冷たい風に迎えられて驚いた。ただ寒いだけなら別に驚きはしない。風の匂いが、秋に感じるそれと同じだったからだ。もうすぐ冬になろうかという晩秋の冷たい風そのままである。ああ、いっそこのまま冬になればいいのに、もう一生ずっと冬だったらいいのにと思いつつ、どうも自分は鼻で嗅いだ匂いで季節を感じているようだと考えた。ここでは「匂い」と書いているが、厳密に言えば匂いの感覚とは違う。どちらかというと皮膚感覚に近いかもしれない。鼻孔の奥に季節を感じる部位があり、そこに触れた空気の構成を読み取って、いまがどの季節に当たるかを推測しているような気がするのである。今日は温度や湿度などの構成要素が、たまたま晩秋のものと一致したため、大脳皮質に誤った季節感が送られてしまったのだろう。
 もう一つ興味深いのは、冬の訪れを思わせる風の匂いが、即座に「寂しい」感情を呼び起こしたことだ。この匂いと感情の組み合わせは、今までの人生で冬を迎えるたびに何度も経験した馴染み深いものである。空気の構成要素に由来する「季節感」と、それによって引き起こされる情動が、極めて機械的な、条件反射というか連想配列に近い形で脳に組み込まれているという印象を持った。もしそのような匂い=情動ライブラリがあるならば、おそらくそこには、人類がこの世に生まれるはるか以前から受け継がれてきたデータも格納されているだろう。もしかするとこの理不尽な「寂しさ」にも、何らかの生物学的あるいは生理学的な根拠があるのかもしれない。人類の祖先が太古の森を駆け回っていた頃には、そこに重要な意味が含まれていたのかもしれない。今となってはわからない。適切なデコード手段を持たない現生人類としては、ただ反射的に引き起こされた情動にかき乱されて、どうにも穏やかならぬ気持ちになるだけである。