「ありがとう」を言わない国

 http://www.ayeyarwady.com/essay/funa1.htm
 「Doodle」で知ったページ。ちょっと最近感じたことに関係していたので興味深かった。というのも、この前話していたときに気づいたのだが、自分が他人のためにと思って何かしたとき、実は無意識に相手からの感謝や見返りを期待しているのだった。そのことを自覚して愕然とした。これはよろしくない。特に無意識にというのがよくない。おれは自分の性格の中に、他人に対する薄情さ、ずるさ、いやらしさ、浅ましさが確実に存在することを知っており、なるべく抑制しようとしているけれど、ふと油断したときそれが洩れてしまう。何気なく発した自分の言葉のいやらしさに、自分でぎょっとすることになる。本人が気づいていない感情を形にしてしまうのだから言葉というものは恐ろしい。気をつけたいと思います(小学生の作文調)。
 これは個人的な反省というか、自己嫌悪の吐露に過ぎないので念の為。人にどうこうしろという話ではない。上の文章、読み方によっては「おれにもっと感謝しろ、見返りをよこせ」という屈折した要求としても読めるが、それは本意ではない。だけどそれが誤読ではないとは、自分では言い切れないのだよなあ。ムゥフーン。面倒なり。これを防ぐには二つの方法があるだろう。一つは意志を固く持って、自分の行動への発言を一切禁ずることだ。だがそれは難しい。もう一つの方法は、自分の行動に対する感謝が欲しいという欲求が抑えきれないほど高まったら、意識的にそう伝えることだ。「誉めろ」とか「感謝しろ」とか「飯おごれ」とかなんでもいい。そうすれば、心の中で燻っていた不満を陽性のコミュニケーションに転化できるかもしれない。
 いずれにせよ、受けた好意には感謝を忘れず、他人に対しては無心であれ、という一方通行的なスタンスが極意だろうか。なんだか道徳の教科書じみて居心地が悪いが、とりあえずはそのくらいしか言えない。