南セントレア市は燃えているか
「映像の世紀のガイドライン 第三集 」から寄り抜き。
764 :水先案名無い人:05/01/30 00:55:33 ID:ZnGYlngc0
私は、繰り返し次のようなボードを読んでいた。
「南セントレア市成る。南知多町と美浜町合併へ」
私の傍らの一人の紳士が、私に語りかけてきた。
「なぁ、坊や。君は誇りに思っていいんだぞ。我々は偉大な時代に生きているんだ」
私も、そのように感じた。南セントレアの国力の増大に、私達は感嘆の念を抱いていた。
私達は、偉大な時代に生きていた。
そして、その時代の創造者、その保証人は合併協議会その人たちであった。
――当時少年だった南セントレア人の回想録より
765 :水先案名無い人:05/01/30 06:48:22 ID:86OQQ3eQ0
合併の世紀
第 1集 合併の幕開け:地図帳は歴史の断片をとらえ始めた
第 2集 大量合併の完成:地方の住民たちは凄まじい特例法の出現を見た
第 3集 それは篠山市から始まった:噴き出した財政改革の欲望が地方を動かした
第 4集 特例債の野望:地方議員は地域の振興を掲げた大型施設に未来を託した
第 5集 地方は地獄を見た:合併枠組、地域対立、そしてリストラ
第 6集 合併の旗の下に:合併成立に向けて,協議会は苦難の新市名を選んだ
第 7集 識者の地名制作:ひらがな地名はさいたま市から始まった
第 8集 山脈の麓の平和:山梨の四町二村は最終兵器・南アルプスを背負って合併した
第 9集 四国中央市の衝撃:ネーミングセンスが揺らぎ始めた
第10集 社員の悲劇果てしなく:絶え間ない合併、さまよう地図会社の慟哭があった
第11集 JAPAN?:世界が見た美浜町・南知多町合併協議会
766 :水先案名無い人:05/01/30 07:59:29 ID:DBiC9dZE0
我々は独自の市政を建設している。新しい理想郷を建設するのである。
したがって伝統的な名前をもつ学校も病院もいらない。地域通貨もいらない。
たとえ親であっても、市政の毒と思えば微笑んで殺せ。
今住んでいるのは新しい故郷なのである。
我々はこれより過去を切り捨てる。
泣いてはいけない。泣くのは今の市名を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の市名を懐かしんでいるからだ。
当時合併推進派が子供たちに掲げていたスローガンです
――合併推進派の指令文書より
767 :水先案名無い人:05/01/30 10:44:42 ID:8YYDa+DI0
私は美浜町の愛知用水に面した地区古布が、
まさしく私の誕生の地となった運命を幸福な定めだと考えている。
私にはこの小さな町境の地区が大きな使命のシンボルのようにも思える。
というのは、この小さな地区は2つの南セントレア人町の境に位置しており、
少なくともこの両町の合併こそ我々青年がいかなる手段をもってしても
実現しなくてはならない終生の事業と考えられたからだ。
同一の血を持つ町民は共通の市に属するのである。
南知多町、美浜町は故郷南セントレアに復帰しなければならない。
「我が闘争」より
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南セントレア市長
789 :水先案名無い人:05/02/04 02:51:11 ID:9pbtFr730
「南セントレア市はもはや街ではない。
将来は老害とDQNがもうもうと立込め、一寸先も見えない。
空港ブームに炙り出された巨大なサイタマのようだ。
それは顔から火が出るように恥ずかしく、殺伐として耐えられないので、
住民票でさえ三河湾へ飛び込み、必死で碧南市にたどり着こうとした。
戸籍はこの地獄から逃げ出す。
どんなに硬い本籍でも、いつまでも我慢していられない。
学歴欄にだけ残るのだ。神よ、なぜ我等を見捨てたもうたのか。」
――南セントレア市立野間小学校卒業文集より
791 :水先案名無い人:05/02/05 11:36:14 ID:4K3HFZK30
常滑市に要求する。既に約束したことを実現せよ。
戦争か平和か、常滑市が決めるのだ。
我々の申し入れを承諾して南セントレア人に自由を与えるか、
それとも我々が自分で自由を求めるか。
いまや私は最初の兵士として、我が市民の先頭に立つ。
我が市民は、市名でネタにされた時とは違う。
――南セントレア市長「坂井併合要求演説」より
834 :水先案名無い人:05/02/09 18:58:18 ID:YF8GHAzv0
日本人は我々南セントレア人を常に嘲笑し、
我々を野蛮人とさえ考えていない。犬や豚同然と考えているのだ。
一方、南セントレア人は日本人をあたかも雷のように恐れている。
日本人に道であったときも蹴られたり殴られたりしない様、
ただただ逃げ出すばかりである。
――南セントレア人の抗議文より
撤回されてよかったですね。本当に、よかったですね。
私の中に、ほんのわずか、
――実現すればよかったのに
という気持ちがあることを
否定することはできませんが
それでも、ひとまず、
お祝い申し上げます。